私はサッカーの審判の4級を中学2年の時まで持っていたのですが3年生の時に更新しま

私はサッカーの審判の4級を中学2年の時まで持っていたのですが3年生の時に更新しま

偶然の出会いで私は今このメンバーと一緒にサッカーを楽しんでいますが、人と人とのつながりで知り会えたこのメンバーに感謝したいです。そしてこれからもいつも楽しく、笑って一生懸命になって、そして悔しく泣いて、ときには怒って・・・サッカーをしていきたいなと思いました。

みなさん、こんにちは。
小5の息子のサッカーで相談です。
小1から学校のサッカークラブに入部し、これまで来ています。
小1、2年生の頃は楽しくやっていたようですが、小3から
ポジションがDFになり、その頃からだんだん楽しいと思えなく
なってきたようです。
それでも常にレギュラーに選ばれ、市の大会でも優勝するなど
チームとしての戦績は良いほうだと思います。
ただ最近は「学校のサッカーはつまらない」「もうやめたい」と
言い出しました。
理由は・DFばかりでつまらない。たまには前のポジションをやりたい。
・コーチが上手い子ばかりFWやMFにする。あまり上手くない子おとなしい子は守備的ポジションばかりやらされる。
・コーチは上手い子の父親で、ひいきしている。信用できない。
です。
私から「それとなくコーチに言って上げようか」と言うと「それだけは絶対にやめてくれ」
「ではコーチに自分の意思を伝えたら?」と言っても
「それもいやだ。」と頑なです。
サッカー自体はすきなのですが、今のサッカーの環境が我慢できないようです。
息子は練習も今までまじめにやってきたし、自分のポジションを一生懸命やっている姿を見ると、なんとかサッカーに楽しむようにしてあげ
たいと思っています。

コーチに相談することは何回も考えましたが、息子を裏切るようでしておりません。コーチは練習試合を数多く組むなど熱心に教えてくれると思うのですが、確かにポジションは固定的(キーパーの子も小3からずっとキーパーです)だし、勝ち負けを優先しているようです。
私は小学生の頃は勝ち負けよりサッカーの楽しさ、すばらしさを教えること。いろんなポジションを経験し、一通りやってみることが大切と思っております。

息子によると、「守備的なポジションをやっているあまり上手くない子は、みんなやめたいと言っている」だそうです。
みなさま、このような経験はございませんか?
どのような対策を取ったら良いと思いますか?

◆親の敷いた違うレールに乗り換えて
「津田にいると伸びない。全国には行けない、トレセンに選ばれない」からと
同じ思いの人たちとの情報交換をしてチームを移籍。
私は子どもとふだんからコミニュケーションを取ってるので本音が聞ける。
元気がないので「どうした?」と聞くと
「試合に負けた日やうまいこといかない時に親と帰る車の中が一番イヤ」
「叱られる、親が怖い」「家に帰ったらまた練習が待ってる」
親は子どもの苦しい思いを知るよしもなく次へ次へと急行列車を探す。
「親が敷いたレールに乗り親の〔夢〕という「終着駅」に着かなかったこの子は
今はどうしてるかなぁ~~」
子どもは自分で「何か違う?」と*気づくのは思春期?高校?社会人?
<参考>気づいたらどういう行動になるかは*印で先述しました。
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◎話は変わりますが。いよいよ卒団式が近づいてきます。
ここ1ヵ月は子どもと過ごしたメモや日記を見て涙してます。
卒団式には「さよならは言わない、また会おう」といつも言います。
でもほとんど生徒とは会えません。それどころか卒団後たまに会うと私を見て
避けます。子どもごころに「会わす顔がないんかな?」胸が痛みます。
「中学になってもたるさんらとサッカーがしたい」と
泣きながら話してくれる「思い」を宝物として大切にします。
この子たちともっと一緒にいてそばで力になりたいと思います。
この「思い」が起こるには共に過ごした子どもへの「礼儀」であり
一生懸命子どもに対してやれたという「証」だと思っています。
これは私の毎年のわがままですが、変えるつもりはありません。
人のことをこう思うのが私であり津田サッカークラブだと思うからです。

最初に癌が見つかってからの半年は、病院で余命宣告されることもなかったし、治療も上手くいっているようだったので私は治るものだと思っていました。 そして癌が見つかって半年、一度は回復して元気になっていたと思っていた父に異変が見られました。 急に痴呆症のように物忘れが激しくなり、道も間違う、挙句の果てには自分がどこにいるのかもわからない状態で、病院に行くと脳に癌が転移してしまった影響だということがわかり、その時に転移のスピードが早いことから、3〜4ヶ月かもしれないと言われたのです。

その時の話しをしてくださいました。サッカーに限ったことではないと思いますが、審判ってスゴいプレッシャーを感じながら試合に臨んでいるんです。私は専ら少年サッカーの試合ですが(何度か社会人の試合で副審をやったことがあるけど)、それでもベンチや観客(親達)からのプレッシャーは相当なものです。

さて、サッカースクールの今年度、私は5年生を担当することになったのですが、5年生2チームの中に今年は女の子が3人も入ってきてくれました。今年中学3年生になった学年を教えていたときにも女の子が1人いたのですが、その子は男の兄弟の中で育ち、兄弟みんなサッカーをしていたせいか、1人でも負けずにガッツがあり、すぐに男の子たちに負けないプレーでがんばっていました。

元々偶然のきっかけで知り合った(話せば長いので・・・)仲間ですが、私は週に1度のこのサッカーをとても楽しんでいます。それは仲間とサッカーをプレーするというプレーヤーの気持ちを思い出させてくれ、審判をする上でも指導する上でも忘れかけていた気持ちを思い出させてくれた気がします。

「なぜあの程度のファウルでレッドカード?」と思った人も多くいたと思います。中継でも「あのタックルでレッドはきびしい」というようなことを言っていましたが、さっきも話したように、あのプレーがなければ得点されていた可能性が高い(個人的にはほぼやられていたと思う)ことを考えると、「決定的得点の阻止」でのレッドカード(退場)に値する反則になってしまうのです。だからあのプレーをほめていいわけではないかもしれませんが、あそこで自分が犠牲になってでも止めに入る懸命な姿に私は大きく気持ちを動かされました。

*退職して3年目に入り教え子たちと会う機会が増えました。
私は臆病でサッカー経験がない劣等感の塊(かたまり)。
なのに根拠のない自信と子ども(教え子)が好きでかわいくて仕方ない。
一緒にいたくてたまらない。(できもしないのに)面倒をみないと気が済まない。
その上お節介やきという面倒くさい性格。
年老いても「生きがい」と「夢」を見つけては喜んで行動していく中で
自分のキャリア(プロフィール)に次々と思い出が残こせるのはまぎれもなく
教え子たちのおかげであります。。
教え子は仕事を持ちつつ自分の利益を考えずにボランティア活動を実践してくれ
各方面で活躍する話を聞くたびに「すごい」と感動する日々です。
こうした私の生き方「人のために」の精神は昔も今もそして将来も変わることのなく
つないで未来の子どもへと託してくれるでしょう。

今日はつくづく珍しくサッカーもなく1日オフで良かったなと…。相も変わらず寒がりな私は、もうすぐ始まる高校選手権の滝川第二の初優勝がかかった決勝戦を楽しみにしながら日記を書いています。
昨年のJリーグ、ヴィッセル神戸の残留争いでの最終戦では、勝つだけでなくFC東京がサンガに負けなければならないという状況の中でレッズに勝ち、しかもFC東京が負けて残留が決まった時は優勝したかのような喜びが込み上げたのと同時に、私がヴィッセルガールをしていた最後の年の最終戦での感動を思い出しました。