その典型例として 「三食教」があるのかもしれない

キリスト教神学と「食」

ユダヤ教の食事制限には組み合わせに関する規定もあるため、ユダヤ教徒以外がその全てを正しくクリアするのはなかなか難しいことです。

もしユダヤ教徒の方と食事をする機会があった場合は、今回ご紹介したKosherJapanで認められた商品を利用するなど、宗教に合わせた食事でたのしく食卓を囲めるとよいですね。

キリスト者とは、さきほどの「人間、食するもの」になぞらえていえば、まさしく「神の恵みとしてキリストを食するもの」です。神からの恵みを受け入れ、分かち合うこと(食すること)と、恵みへの感謝を神にささげることは表裏一体のことです。こんな、すごいことの意味合いを考えるのが神学であるとするならば、「食」はもっとも中心的な主題となってよいはずです。「食」の神学、「食」の霊性は、世の中でも求められており、教会や学校、家庭をとおしても意識化され、深められていくときを迎えているのではないでしょうか。

患者さまの最適な栄養状態を保つため、食と栄養のさまざまな可能性を探り、その実現に努めています。
宗教上の制約がある方への「ハラル食」や、出産後の「お祝い膳」など、当院の食に関する取り組みには、生命の源ともいえる食によって患者さまを支えたいという思いが込められています。

このガーンディーの発言を、単に個々人の医者の批判と捉えてはならない。資本主義経済の中で、製薬会社や病院の利益との相関関係として現れた、医師の立ち位置への批判、つまりは資本主義文明の片棒を担ぐ存在としての医者役割の批判、と捉えるべきだ。そうみてみると、私たちは胃薬や医者を、「三食教」を補強し、「三食教」へと依存させる、亢進役として用いてきた。薬も医者も、使い方を誤れば毒になる。その典型例として、「三食教」があるのかもしれない。

神戸国際大学創立50周年記念事業の一つとして、11月24日(土)に実施するキリスト教講座『「最後の晩餐」と「食」の美術』の開催が間近となりました。
講師に宮下規久朗先生(神戸大学大学院人文学研究科教授)をお迎えし、古代から現代まで幅広く西洋美術の歴史を振り返り、美術と飲食の意外な関係について説明し、それを通して美術の見方や魅力を紹介いたします。

キリスト教にもふさわしい返礼品のお品物を厳選しました。返礼ギフトは形に残らない物が好まれます。ケーキやクッキーなどの洋菓子食品類を中心に、最近では好きなお品物を先様にお選びいただけるカタログギフトも人気です。1個から大量配送までインターネットでカンタンに注文していただけます。

あまり、言われていないですし、ましてや神学できちんと論じられてきたこともないかもしれませんが、「食」はキリスト教の本質にとても深く関わっています。……というより、そのことが、今日、ようやく気づかされてきたといえるかもしれません。レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の絵が有名なように、キリスト教にとって晩餐、食事ということは重要な場であったのですが、そのことの意味がきちんと論じられていなかったのでしょうか。

キリスト教神学と「食」

で、この「三食教」からの離脱期に、人から薦められて手に取ったある本に、この話題と重なる事が書かれていた。

さまざまな宗教の人々が出会う現代ですから、ある宗教ではあれやこれを食べないという食べ物に関する戒律があることにも少しあります。日本には精進料理という伝統があるので、そのような習慣の人に出会っても「ああ、なるほど」と納得できる面がありますが、たとえば、イスラム教やユダヤ教では豚を、ヒンズー教では牛を食べないといった規定は、ふつうにそれらを食べている私たちにとっては、厳しいもののように思えます。変な言い方かもしれませんが、宗教らしいなと思わせるところもあるのではないでしょうか(食のタブー、宗教における食のタブーについては、いろいろな情報がネット世界に出ていますので、もろもろご参照ください)。