高校三年生です女子です クラブも引退して運動しなくなってしまって少し太っ
その西湘地区生徒会交流会について補足ですが、形骸化している面があります。そこで、県からこういう活動を高校生にやってほしいんだというものがもしあれば、例えば未病も1つだと思うんですが、それに対して高校生にできること、そういう視点についてグループ、少人数に分かれてですね、ディスカッションなどをすることによって、より内容がある交流会になる。ということで交流会そのものにもプラスになりますし、それぞれの学校で生徒会という代表者が県の取組みについて考えることによって、学校全体に県の取組みを浸透させることができるのではないかと思っています。ですので、可能であれば、県全体の高校とかですね、西湘地区だけでもいいので、そういった取組みをより発信してくださいというような呼びかけをしていただければ、そういったトピックにしていこうと思います。
本当です。
私も周りの友人も高校時代が一番太ってました。
卒アルなんて、みんな顔がパンパン(笑)
スポーツしてますか?
だとすれば筋肉の分、なおさら体重は増加します。
今30代後半ですが、当時より全員痩せてます。
私も当時より-8kgです。
だから大丈夫!
しっかり食べて健康体を維持しましょう!!
じつは、わたしの母校がこの年、横浜高校と共に春のセンバツに出場し
ベスト4まで進出しました・・・
お店をオープンしたばかりだったので、応援には行けませんでしたが
高校野球好きのわたしにとっては、なんとも忘れられない思い出です。
このときのエースだった”館山くん”今年ドラフト3位でヤクルトスワローズに
入団しました・・・がんばってくれよぉ・・・山本昌のように!!!
過去って言っても高校生の時なので何十年も前の話だ けど、1週間で7キロ痩せたことがあります。バレーボ ールクラブに入っていて放課後クラブで3~4時間スポ ーツしたあと家に帰って縄跳び1000回とかしていまし た。その時は若かったし代謝も良かったみたいで食事 制限無しでやせることが出来たけど今考えたら恐ろし い・・・・・。
先日、3年ぶりに『ディズニーランド』へ行ってきました・・・
昨年、一昨年は『ディズニーシー』へ行きました。
ここ数年、年に1回ペースで行きますが、必ずこの時期になってしまいます。
なぜかっ・・・子供たちの運動会の代休を利用してです・・・(^。^)
たまには違うシーズンに行ってみたいとも思うのですが 昔から、”ゴールデンウィーク・夏休み・正月”など人様が休みだったり 混みそうな時期はさけてきました・・・
今年は20周年なんですねぇ・・・初めて行ったのが開園した年、私が高校3年生でした・・・
何度行っても新鮮味があり、古くならない・・・また行こうっと思わせる・・・
究極のサービス業ではないでしょうか!?
小学生の時に地域のサッカークラブに入って以来、中高大とずっとサッカー一筋です。Jリーグで盛り上がる前からサッカーをしていたという変な自負があります。
喬 「私はヘルシンキオリンピックを終えたあと、山形の国体があるから応援に来てくれと言われ、故郷の秋田県から応援に行ったんです。そうしたら、高校2年のすばらしい選手がいるということを聞いた。それが彼女でした。才能がありましたから、オリンピックまで行けるのではと思った。それから、彼女に演技の写真や手紙を送って、私からアドバイスをするようになりました。そんなことを続けるうちに、彼女のお母さんとも仲良くなりましてね。気が合ったんですね。
高校時代にぽっちゃりしていても大人になって痩せる人は多いですよ。
もちろん変わらない人も多いですが…
太る時期といえばそうなんだと思います。
私はスポーツもしていないのにとにかくいつもお腹が空いていました。
朝食を食べて家を出ても午前中にお腹が空いて早弁。ランチ時間には購買でパンを買い、放課後はマックのバリューセット、帰宅して夕食なんてざらでした。
でも食べる量が減ったのに体重が増えるというのはどうかな。
甲状腺などの病気の可能性もあります。
最後に、他にも、親子事業・大人事業も、母親目線であったらいいなというクラブを考え、運営しています。例えば、大人向けのエクササイズ「チャージ!」は小さなお子さんをお持ちのお母さんが参加する場合、施設内で安全にできるだけ安い価格でお子さんを預かれるよう、地域のベテランさんやNPO、ボランティアママたちに協力してもらい、独自の託児システムで運営しています。こうして地域ぐるみで支え合うことが、子育てしやすい町につながるのではないかと思っています。託児で預かっていた赤ちゃんがファイトキッズやホリデージムに来るようになったり、中高生になった子がホリデージムにお手伝いに来たり、うれしいことがたくさんあるのですが、ゆくゆくは託児で預かっていた赤ちゃんがママになって、今度は自分のお子さんを預けたり、さらにはあすぽを支えるメンバーになってくれたり、そんなことがあったらいいな、とひそかに思い、いつまでもあすぽを続けていけたらと思っています。
新制能代南高校(現・能代高)時代に国体で優勝を果たし、大学は体操の名門・東京教育大学(現在の筑波大学)に進学した喬。参加した競技会で目の当たりにした外国人選手の優れた技に、世界レベルの体操のヒントを掴んだ。そこから重ねた練習が、戦後日本初参加のヘルシンキオリンピック(1952年)での活躍につながっていく。