開眼片足立ちはテストだけでなく 運動としても効果的です
1 片方の足。「片足とび」
足のサイズの左右差が大きい、装具・サポーターなどを片足に装着するために靴の左右のサイズが異なる、歩き方や装具の装着などにより片足のみ靴が破損することが多いなど、片足販売が必要なお子さまのために実現しました。 シューズは安定性・軽量性・屈曲性などの基本性能に加え、取替中敷や履き口が大きく開口する設計で履きやすさに配慮しています。
開眼片足立ちはテストだけでなく、運動としても効果的です。左右の足で1分ずつ1日に3回行うと、理論上50分歩いたのと同じくらいの運動負荷が大腿の付け根にかかるそうです。このため筋力アップや骨粗鬆症の予防、ダイエット効果といった事が期待できます。
全国高等学校野球選手権大会の入場式が行なわれている真夏の甲子園球場、興奮と歓声渦巻くネット裏に一人の高校生がゲストとして招かれていた。テレビのインタビューを終え、歩きだしたその少年は意外にも右足の不自由な身体障害者だった。彼の名は大島正平。博多南高のエースだった。正平は二歳の時小児マヒにかかり右足の自由を失っていた。だがチャンポン屋を経営する父久米一、やさしい母照子、弟想いの兄姉正太郎、ひろみの愛に包まれて明るく育てられたが、一歩家をでれば、社会は決して甘やかしてくれないことを知っていた。彼を支えるものは野球に対する情熱だった。高校野球の練習は厳しかった。右足のハンデからランニングはいつもの他部員から遅れ、牟田口監督の怒声を浴びた。しかし、鬼監督の血のにじむようなシゴキの中で、チームメイトの友情は深まっていった。特にバッテリーを組む楠とは気があった。練習に疲れた身体をもみほごしてくれる肉親たちの愛情、ふとした機会から文通を始めた女子高生松尾しのぶの友情も青春の喜びと勇気を与えてくれた。それに、体育会の慰問で行った身体不自由児施設新光園の子供たちの期待にも応えねばならなかった。しかし、ヒット性の当りも一塁で刺されたり、ゴロをさばくにも転んでしまったり、正平は“右足”がチームに負担をかけているのではないかと悩んだ。だが、牟田口監督の百本ノックのシゴキの前にそんな不安も消飛んでしまった。やがて、高校球児の夢、甲子園を目指す地区予選が始まった。不自由な足でマウンドを死守する正平の活躍は話題を集め、各新聞は“片足のエース”と讃えた。名門久留米田高と対戦、マウンドに立った正平の見たものは、身体を保母に支えられ、不自由な足で、笛、大鼓を鳴らし応援する新光園の子供たちの姿だった。延長十二回、正平の頭脳的ランニングで決勝点をあげた博田南はついに地区代表決定戦にのそんだ。相手校は前年度の全国優勝校三池商高。しかも優勝の原動力、エース田上投手も健在。一方、正平は、前日延長十二回の疲れを押しての連投である。必死に投げる正平の“右足”にとって連投の疲れは決定的なものだった。敗れた博多南校ナインに、スタンドから盛大な拍手が送られた。それは“片足のエース”への心からのねぎらいと讃辞だった。いつまでも鳴り止まぬなか、右足をひきずりながらマウンドを去る正平に悔いはなかった。全力を尽してきた“汗と土の青春”が愛と努力の尊さを教えてくれたからだった。
そして彼が選んだ次の挑戦は、ギネス世界記録タイトル「片足での最も高い立ち飛び|Highest standing jump (one leg)」を更新することでした。
小児マヒに右足を侵されたハンデを背負いながら、第四十八回大会福岡県予選で活躍し“片足のエース”として話題を集めた元博多高校野球部島石正美投手をモデルに映画化した。脚本は井手雅人。監督は「ママいつまでも生きてね」の池広一夫。撮影は中山繁と「喧嘩屋一代 どでかい奴」の森田富士郎がそれぞれ担当。
北九州市小倉北区の紫川に架かる中の橋(全長約80メートル、通称・太陽の橋)北側歩道に設置されているオブジェ「宇宙七曜星の精」7体のうち6体が、片足だけ靴下をはいた姿になっており「誰がはかせたのか」と話題になっている。