私の学校ではついこないだダンス部ができました かなりの人数が入ってきてて色

私の学校ではついこないだダンス部ができました かなりの人数が入ってきてて色

ふたりで外で食事をしたとき、食後の飲み物を、私はかならず紅茶、連れ合いはかならずコーヒーを頼むのだが、120%ぐらいの確率でかならず、ウェイターやウェイトレスさんが、コーヒーを私のほうに起き、紅茶を連れ合いのほうに置く。「いや、逆です」というと「失礼しました」と言って置き直す。

Jemboでの初めてのクリスマス、そして新年を迎えました。
忙しい中にも感謝な時を過ごしました。
クリニックでの働きも始め、少しずつ状況を知ることができています。しかしジンバでもそうでしたが、予算というものがなくて水漏れしている蛇口がいくつもありながら直すことができずきついゴムで何とか締め付けている状態です。また修理管理をする方がいないので、難しいです。蛇口を買ってなんとかしたいのですが、彼らの出方、どうするかを見ているところです。実際蛇口1つもかなりの高価なものになっているので簡単にはできません。それでもクリニックの職員は、水はけの悪いところを直したり、水漏れもその都度締め付けていたり、前向きに仕事をして下さっている姿に感心させられています。少ない人数のため一人一人が責任をもって仕事をしている姿に励まされます。ある意味で丁度いい人数なのかもしれません。(多くなるとさぼることを覚えるかもしれませんから)
警備の人の休みをあげるために、他の職員が1日警備を交代して助け合っている姿にも感心させられます。大きなジンバの病院では見られなかったことでした。

15日には宣教師館に正式な電線が繋げられました。
この電気配線が成し遂げられたことは奇跡のような出来事で、本当に感謝しています。電気のメーターをつければ電気システムは完成したと言えますが、中々進まないのが現状です。
宣教師館が完成するまでもう少しです。この少しが中々進まず、立ち往生しています。くるはずの人が様々な事情で来れず、作業が先延ばしになっているためです。
21日には7月に事故に遭い、骨折したクリニックスタッフの病院の再診の日だったのでその迎えに行く援助させてもらいました。腰椎のダメージもあり腰痛持ちの彼にとって、田舎から街に公共交通機関で行き来することはかなり負担となっています。そため、許される限り、援助させていただいています。
彼の状態は徐々に回復に向かっていることが見られ、御名を崇めました。

今の彼氏との話です。今の彼氏とは、今年で5年の付き合いになります。でも1年半前まで三角関係になって、私は東京で専門学校に通ってて彼氏は沖縄に実家で仕事しながら住んでました。私が東京で入学もして一人暮しも始めて、彼氏との遠距離も頑張ろうと思っていた矢先に、私よりも彼氏よりも若い女の子と彼氏が浮気して、彼氏の家で居候までしてる状況になって、それからも三角関係のままドロドロな1年半が続き、女の子と彼氏が別れて、私と彼氏がよりが戻って私はずっと他の男の人所に行かないで、彼氏だけを待って頑張ってきたから嬉しかったです。確かに彼氏はダメ男だけど、彼がいたから頑張れた事も沢山あったから、相手の女の子に、あった事ないし会いたくないし結構いい噂の女の子じゃなかったみたいで、話しいつも聞いててムカつくし可哀想にも思えたけど、一生私と彼氏や周りの人に関わらないでって思ってます。今度こそ、二人で幸せになりたい思ってます。今、彼氏が仕事の関係で東京いるので毎日の様に会えてるので幸せです。

17歳の時にバイト先で一つ上の人とお付き合いをしていたのですが私が進級すると同時に専門学校に進学してしまった彼。それでも私が寂しくなら ないように毎日電話をしてほぼ毎週会いに行ったり来てもらったり。でもそんな生活をしているとバイトで疲れても電話をしなきゃいけない、1人の時間が欲し くても会わないといけない、そういう風に思ってしまい段々と私の気持ちが離れていってしまいました。
そんな中バイト先に新しい社員の方が入ってきてその方と仲良くなり気になり出しました。
こ の人なら近くに居てくれるしちょうど良い距離なのかもしれない、そう思ってしまい付き合っていた彼とは別れました。そうしてその方とお付き合いをしたので すが彼と離れて分かった事が沢山ありました。どれほど私を大事にしてくれて私の事を考えていてくれたのか。でもその思いに気付いた時にはもう遅くどうする 事も出来ませんでした。
今はその後お付き合いした方と結婚をし子供が1人います。でも私は前の彼がずっと忘れられません。目の前に いる旦那さんより前の彼に対する気持ちの方が大きいです。都合が良いのは分かります。自分がとった行動で彼がものすごく傷付いたのも分かりました。でもど れだけ私の中で彼が大事で好きだったのか気付いたのも事実なので私は彼を忘れようとは思いません。

ここに「高校生の頃、僕のアイドルだったのが、東京事変とベン・フォールズだった」と語っていることと、彼が10代の時にで今人気のロックバンドcinema staffと東海地区代表を掛けて争っていたことを加えると「ただのピアニストじゃないぞ」という気配がしてくる。

アルバム全編に共通する板崎拓也、石若駿とのピアノトリオのコンビネーションは完璧で、石若は細かいサインやフックを仕掛けているし宮川はそれを絶対に見逃さない。そこに時には釣れない素振りを見せたり一緒になってフックをメイクしていく板崎との三者の関わりは、正にピアノトリオを聴くときの醍醐味といった塩梅で聴けば聴くほどとんでもなくスリリングだ。ギターの荻原亮もソロは少ないながらも「JB’s Poem」と「Pulse」ではそれぞれちがった毛色ながらどちらも白熱のギターソロを聴かせる。宮川もいわゆる熱量のあるソロだけでなく、時にはコンパクトなソロを聴かせたり、「The Water is Wide」でウーリッツァーでメロディを粛々と紡いだり、「JB’s Poem」でローズと生ピアノをバッキングとフィルで華麗に使い分けたりする宮川の達者ぶりは同世代でも随一だろう。石若も「The Golden Bug」でのいわゆるスネアをズラした今風のリズムと「Just A Moment」での高速4ビートを叩いているのは本当に同じ人物なのかと疑うくらい多彩なリズムを使い分け、曲中でも細かなフィールで次々に彩りを加えている。
コンテンポラリーな楽曲といわゆる”New Chapter”的な作品が実に自然に同居しているところはこの世代の、そしてアルバムほぼ全曲の作曲者でもある宮川のバランス感覚の賜物だろう。

これら演奏面と同じくらい特筆すべき面白さはこのアルバムの録音だ。
一曲目の「Introduction」のドラムの音を聴いた瞬間に「待ちに待っていたアルバムがついに出た!」と、僕はそう思った。
ロバート・グラスパーやクリス・バワーズ、ホセ・ジェームズといったミュージシャンはレコーディング・エンジニアにあえてジャズのエンジニアでは無い人材を起用してライブ音楽であるジャズに録音作品としての面白さを付与してきた。このアルバムに参加している黒田卓也もそんなジャズメンの一人だ。そこに呼応するような作品が日本でも「ついに出た」のだ。

けだしわれわれがわれわれの感官をかんじ、やがては風景や人物を信ずるやうに、そしてただ共通に信ずるだけであるやうに、記録や歴史、あるいは地史といふものも、それのいろいろの論料といつしょに、(因果の時空的制約のもとに)、われわれが信じているにすぎません。おそらくこれから二千年もたつころは、それ相当のちがつた地質学が流用され、相当した証拠もまた次々過去から現出し、みんな二千年ぐらい前には、青ぞらいつぱいの無色の孔雀が居たとおもひ、新進の大学士たちは気圏のいちばん上層、きらびやかな水窒素のあたりから、すてきな化石を発掘したり、あるひは白亜紀砂岩の層面から、透明な人類の巨大な足跡を、発見するかもしれません。

大学1年生の時コンビニのアルバイトをしてた時、常連のお客様に恋をしました。お仕事をされてる方で、私が普段関わることがない大人な人で、かっこよくていつも何かしら優しい言葉をかけてくれて笑顔が素敵でレジをする度ドキドキで楽しみでした。仕事中に買い物にくるので、名札を見て名前も知り、心の中で名前を呼んで、コンビニでレジ打ちをするだけで幸せだったんです。この時には既に恋だったのもしれませんが、私としてはまだ憧れという感覚。ある日、出かけた帰りに夜自宅に向かって歩いてたら、そのお客様と道でばったり会いました。お店とは違う距離感で、レジカウンターを通さずに憧れの人が立ってるのがとにかく緊張して、いつも以上に顔が赤くなったのを覚えています。挨拶程度の会話を交わし、その人から「最近あまりお店で会えないから寂しいよ、会えて嬉しい」と言われ、顔のにやけが止まらなかったです。わたしも嬉しいですと伝えると、連絡先を聞かれ、交換。今度お茶でもしようとなり、喫茶店で後日待ち合わせ。夢のようでした私は自分がどうなってしまうのか、考えもしなかったです。付き合うこととか、そんなこと考える余裕もなくて、ただ、もっと笑顔が見たくて、私に言葉を投げかけてほしくて、コンビニの勤務中ではなく、2人で会いたい、話したいという欲が出ました。2人でお茶をした日。衝撃の事実が発覚しました。私はその人が、28から30歳くらいだと思ってましたが、なんと38歳。もうすぐ40混乱しました。でもそうは見えない位間違いなく若くてかっこいいんです。2人で隣に座り近い距離で見てもそれは変わらない。ただ、年齢だけならまだしも既婚者、2人の子持ち。携帯の待ち受けも子供。あぁ、終わった。とショックを受けてる自分がいた時、あ、私この人に恋してたんだ、と気づきました。彼は奥さんと上手くいってないことを話してきました。内心どこかで喜ぶ悪い自分がいながら、これが女を騙す既婚者の手口か。。。と自分に言い聞かせ、冷静を装ったのを覚えています。彼は楽しそうで、人の気も知らないで、これだから男は。。とか考えながら相変わらずかっこいい笑顔、声も好きだなとか考えてました。帰り道、家の近くまで送ってくれるということで夜道を2人で並んで歩きました。ドキドキしました。今まではコンビニにくる時しか見たことがなく、爽やかな彼しか見たことがありませんでしだが、奥さんと喧嘩が絶えない事や仕事の忙しさで疲れてる表情を初めて見たので、「あまり無理しないでくださいね」と言うと「〇〇ちゃんの笑顔にお店でいつも癒されてるんだよ」と言われました。私も同じです!!と思うと同時に、嬉しくて、でも喜んじゃいけない気がして。心が通じ合ってるのに、関係を伸展させちゃいけないから、同じ思いですとは言えなかったです。じゃあここで、とお別れするとき、頭をポンポンされ、そのまま抱きしめられました。冬でコートを着てましたが、彼の肩、胸、腕の力、が私の身体全体に伝わってきて、心臓が止まるかと思いました。彼の力が少し抜け、とっさに顔を上げた瞬間、考える間もなくキスをされ、そのまま舌も入ってきて大パニックで最初は何も抵抗できませんでした。キスが思った以上に長く続いた時、やっと頭の中で状況を整理できてきた時、ようやく私は抵抗し始めました。こんな道でキスなんて。。誰かに見られたら、しかも既婚者、まずい。でも中々彼はやめません。抱きしめる力も強くて。本気を出せば、もっと抵抗できたかなと思います。でも、本気の抵抗ができなかったのは、好きになってしまったからだと思います。こんな一生懸命わたしを求めてくる彼が、愛おしい、って思ってしまったんです。キスが終わり、ごめんねと言う彼。「また会おう」と言われ、「それは駄目です。結婚してるじゃないですか」というと、〇〇ちゃんの事が好き、と告白されました。わたしも好き、と言えず、とにかくもう会うのは無理です、と言い曖昧な感じで別れ帰ってきました。メールで改めて好き、奥さんと離婚も考えてると言われ、あぁこうやって人はいけない道に進むんだと思いました。私も、今日キスされた時正直本気で抵抗できなかったこと、だからこそもう会ってはいけないと思うことを打ち明けました。その直後のアルバイト、彼はいつも通りお店にきました。私はこないだのことが頭でいっぱいになり、あんなに緊張して恥ずかしかったレジ打ちは他にはありません。手が震えそうでした。彼はいつも通りでなんだか余裕に見え、少し腹が立ちました。その後一回だけ夜食事に行きました。誘われて、何でOKしてしまったのかよく分かりません。好きだったからでしょうか。普通に居酒屋でお酒を飲みながら話、帰り道また抱きしめられそうになりましたが、今回は警戒心があったのか逃れられ、それでも肩を抱き寄せながら「ホテル行く?」と言われた時に、そういった経験もありましたが、まだ学生だった私はその言葉を直で投げられた瞬間、一気に冷めてしまったのです。だって、まだ私は告白に対する返事も何もしてないし、付き合うことにもなってない。私が彼に抱いてる「好き、でも迷惑かけたくない、好きだから」という感情よりも、彼が私に抱く感情は、汚らわしいものなんだって。急に冷静になって、きっぱり断って帰ってきました。その帰り道はなんだか虚しかったです。でも、少し吹っ切れてすっきりしました。その後何度かメールがきたりもしましたが、あまり返さないようにし、私もアルバイトを掛け持ちするようになったので会う頻度も減り、彼も転勤になり会うこともなくなりました。もう5年も前になりますが、今でもたまに思い出します。あまり人に話せないし、不倫のニュースなんかを見ると、心がちくっとします。

前回の報告し、HPには掲載をしなかった件ですが、病院では先月、鎌状赤血球貧血で、3歳の時に脳の異常が出てその後3度目の障害が出て体の麻痺や話すことができなくなった6歳の男の子との出会いがありました。生まれた時から3歳までは普通のこと同じようにできていた子が、急に脳性麻痺のような状態になってご両親はとても大きな試練の中にあります。仕事も思うようにできず、治療の薬も高く大変な中におられます。「何故?この子に!」というところから抜けられず信仰も試みの中にあります。そんな中で、医師からの説明と子の家族の将来、この子の将来についてゆっくり話すときが持たれ、祈る時が与えられたことに感謝しています。何故?からこの現状を受け入れる初めのきっかけになったように思うひと時で感謝でした。全てのことを感謝しなさいという聖書の言葉は、頭でわかっていても辛さが先に来るばかりだったのですが、感謝な祈りができて、これから前に進める一歩が踏めるかなと光が少し見えたように思えて皆を崇めています。
そして、今回ルサカに出てくる用事があり、ローレンスを大学病院に連れてくることができて感謝でした。彼の貧血による病気の人を助ける団体があり、薬や治療がほぼ無料になることが解りました。交通費は自前なのでかなり大変ですが、それでもかなり助かります。また言語療法士の助言を治療が受けられ感謝でした。また首や体を支える椅子も作ることができるそうです。前払いが必要なのですぐではありませんが、寸法は取ることができました。感謝とともに御名を誉めたたえています。
とってもかわいい素敵な笑顔をしてくれるローレンスのためにお祈りいただけましたら感謝です。

私の学んでいる人間環境学部には、フィールドワークを行う授業がいくつかあります。
その一環で、私は学内で(!)里山体験をしました。
里山は、人が手入れをしてあげることで、人間との共生関係が生まれます。
下草刈りなど、本当に楽しかったよ!!!